脳内出血の後遺症で認知症に。自分のできることがだんだん減るのがつらいですね

私の父は74歳のとき、近くのスーパーで脳内出血を起こして倒れました。
もともと心房細動の持病があり、脳の病気を予防するために、血圧を下げる薬とのんでいました。

しかし1日3回のまなくてはならないのにうっかり忘れたりすることもあり、病院の先生からは家族の人がのんだかどうかしっかり調べるように言われていました。

そうはいっても家族も働いていたり、それぞれ自分の生活があり父親が薬をのんだかどうか、しっかり薬の管理ができていませんでした。

5月の日曜日、突然、搬送先の救急病院から電話があり2週間ほど入院。

病院でできることはなくなり、あとは自宅に戻って、みまもり=介護について施設などと相談してくれと説明されました。

このときは知らなかったのですが、脳内出血の後遺症で脳血管性認知症という病気があり、認知症が段階的にひどくなっていくことがあるというのです。

思い起こせば父ですが、74歳までたまにぼけてお店に財布を忘れてきたりということはありました。が、趣味が株式投資で、毎日ラジオで株の番組を聴いているほどだったので、ぼけ、という言葉が全然連想されませんでした。

それがこの病気によって倒れたことにより、父は年単位で体の状態が悪くなっていきました。

まずは市役所の福祉課に行き、うちは家族が仕事をしていて母しか父の面倒が見られないということで、小規模多機能の施設を薦められました。

ここは認知症の人がデイサービスで利用できる施設で、まだ自分で歩けたり、ご飯が食べられる父は週に5回ほど施設に出掛けるようになりました。

かわいらしいヘルパーさんが迎えに来るとあって、最初は自分で鏡を見て髪をといたり、ひげをそりたいと身だしなみを気にしていた父親でした。

しかし1年たち、2年たち、だんだん認知症が進行していくにあたって、ヘルパーさんに暴力を振るったり、デイサービスへ行くのをいやがったりするようになりました。

さらに症状が進行すると、トイレの場所が分からなくなりました。

最初はトイレまで走っていくのですが、間に合わなくて、部屋の中で大便や小便をしてしまいました。

父親の部屋は12畳あるのですが、半年に1度畳を変えなければ汚物の匂いや、こびりつきがとれず家の中がとんでもないことになりました。

本人もそのたびに家族にしかられるので、しらず知らずのうちに認知症の症状が進行してしまっていたのかもしれません。

認知症でもできる能力はできるだけ生かしてあげなければいけないのですが、汚物の処理について家族はとても悩まされました。

本人がしんどいので、本当は早めにオムツをかえてあげなければいけないのですが・・・。

認知症でつらいのはできることが、だんだん減っていくことを見ていることです。

見聞きしてきた痴呆と自由に徘徊させるという逆説

数年前、父が要介護状態となり、特養ホームに入ることが難しかったためデイサービスを利用していました。
幸い父は痴呆とうことはありませんでしたが、利用会社が自動車で送迎してくれる折には、痴呆の高齢女性が一緒でした。
絶えず後部座席で意味不明な言動を繰り返し、下りてしまわないように送迎車は絶えず注意していたようです。

又、数年前に特養老人ホームへの見学を兼ねて入居申込書を出しに行った折、入り口から入るのは簡単でしたが帰る時に扉のボタンを押してもドアが飽きません。
まごついていると、職員の方がきてくれ、痴呆の徘徊老人が勝手に出ていけないように、内側からの開閉ボタンには2箇所幼いと開かないというものでした。
預かっている側からとすれば、行方不明となると責任問題が発生するため、色々と工夫をしているものだと思わされるものでした。

そんな矢先、知人の母親にも痴呆を持つものが出始めたようです。
私が父の介護をやっていたということもあってか、母親にアルツハイマー型の痴呆が出ていると言われたといいます。
年々その度合はひどくなり、ある時にベッドの場所を移動した折に、通帳がない印鑑が無いと騒ぎ出したといいます。
更に、フラフラと出歩きはじめ、注意していないと外に出て行ってしまうのだそうです。

デイサービスには出しているようですが、介護保険では賄いきれず毎日というわけにも生きません。
奥さんがそんな時には家で母親を見ているのだといいますが、どこかへでてゆかないかと気が休まる日がないといいます。

以前に、介護で一番大変なのが体が動く痴呆老人で、介護者の気が休まる時もなく、悪態や泥棒扱い、暴力を振るわれる事もあり介護者のストレスも高いといいます。
更に、攻撃性があったり悪態を付くようになると預かる介護施設でも問題となり、長く続かずにケアマネージャー泣かせだといいます。
知人の家でも家に閉じ込めている状態で、母親もストレスが溜まってきているのか時折暴言が見られるのだといいます。

少し前の事、痴呆の母親を一人で見ている女性のドキュメンタリーがありました。
痴呆徘徊癖のある母親が余りに外に行きたがるので、どうにでもなれと開き直りって母親の自由にさせて、後ろからついて歩いたのだといいます。
近所の耳目には入ってしまう事になりますが、かえって知ってもらったほうが何か合った時には皆が対処してくれ、これにより母親の暴言や暴力も低減したといいます。
この話を知人に話したのですが少し考えていたようです。

それでも、道路事情や街の状況にもよりますが、痴呆老人のストレス解消を考えてやる時代なのかもしれません。

仕事では人を統括する立場の父が認知症になってしまった!

私の父は86歳です。認知症になる前は、会社員としては組合の役員をやっていました。さらに、定年退職をしても、シルバー人材センターの理事をしていて80歳まで働いていたのです。父は、新聞をよく読み、世の中の流れを把握する賢い人でした。しかし、82歳に原因の不明の頭痛の症状がでたのです。もちろん病院で脳のCTや精神科にもいきましたが、その時に異常はありませんでした。また、不眠がないために、薬の処方もなしです。頭痛は、誰でも経験がありますが、父の場合は、ハンマーで殴られたような痛みでした。今、思えばあれが初期症状だったのでしょう。もちろん、当時は、異常がないので治療法がしようがありませんでした。そのため、家族は頭の血流改善回復の道と考えて、首や肩にシップやマッサージをしたのです。そのおかげで、父の頭痛は回復しました。しかし、その頃から、朝に話をした時に夜、覚えていない症状があらわれました。そのあと、病院へ行く時に、自宅で財布をなくして家族に、「人の財布をとっただろう!」とか、近所に回覧板を渡しにいっても記憶がないとか認知症の特有の症状もでてきたのです。また、ギリギリまで車の運転をしていましたが、近くの道がわからなくなってしまいました。その時点で運転はやめています。最初は、父は、病院へ行くのは嫌がっていましたが、その気持ちもなくなってきたのです。だから、精神科を受診して、医師との会話や脳のCTをうけました。その結果、アルツハイマー型認知症と診断されたのです。そして、医師から薬を処方されました。しかし、現在では、父は理容室にいっても、お金を払うことができないために、家族がかわりに払っています。また、父に小遣いと金銭を渡してもなくしてしまう状態です。さらに、お風呂は家族が交代で入浴させて、体と髪の毛を洗っています。そして、夜、2時起きてしまって、病気の前にかわいがっている犬の散歩に出かけようとしてしまうので、家族が交代で今は夜だと話をして、もう一度眠るように話をします。またハブラシも満足にできなくなってしまったので、私や母や姉の家族が指導をしてきちんと歯をみがくようにしています。また、食事の介護も少し必要です。認知症は、薬を飲むことが進行をふせぎます。しかし、病気を患う前から孫と同じようにかわいがっていた犬と薬のおかげで認知症はあまり進行していないと医師の話です。そのため「ハイカイとか暴れる」などの問題行動はありません。まだ、そこは救われていると考えています。

長年お世話になった母との別居を決断したのは認知症が引き金

認知症の母と2年半の間一緒に暮らしていました。今はお互い別の場所に暮らしています。私は実家、母は福祉施設です。母の認知症の進行具合が私の許容は似を超えたので、母を施設に預ける決断を下しました。
母に認知症の症状が出始めたのは3年ほど前です。最初は、料理のレシピを忘れる程度でした。それが次第にエスカレートしていき、母が認知症であると専門医に言われてからすぐに地獄のような生活が始まります。
人間の下腹部から排泄される汚物を好き好んでいる人は、おそらく一握りだと思います。私は嫌っている方で、そのことを知ってか知らずか母が私に汚物を手でなすり付けてきました。当時のことは印象が強すぎるので、鮮明に思い出せます。スキンシップを取るような仕草で、母が私の背中を押してきました。それと同時に、後方から鼻を刺すような異臭を確認します。勘を働かせて洋服を脱ぐと、その背中部分に母の汚物と思われる物体が付着していました。長年大切にしていた洋服なので、我を忘れて私は怒りを周囲にぶつけます。
気が付いたときには、私の手と母の顔面が血に染まっていました。「とうとう一線を超えてしまった」そう感じて大慌てで母を病院に連れて行くと、お医者さんは淡々と怪我の手当を始めます。作業中、彼に叱られるのではないかと身構えていたときです。母を福祉施設に入れてはどうかと提案されました。介護に疲れ果てて人生そのものを悲観していたので、私だけ食事を2日に1食しか摂らない時期の提案です。
お医者さんからの提案に即答する心の余裕がなかったため、自宅でじっくりと考えると決めてから母と一緒に帰りました。その日の夜、母は珍しく適切な会話ができる状態です。「福祉施設に入った方が良いと思う」涙ながらに母は訴えてきました。汚れてしまった洋服の件を除いても、母が認知症になってからの毎日はとにかく疲れていました。これ以上母と一緒に暮らしていたら、遅かれ早かれ私は力尽きてしまうだろうと考えていたときに母が示した意思なので、迷わず同意するしかありませんでした。
母を福祉施設に預けると決断してからは心が軽くなったような気がして、入所手続きのために施設職員さんと話をしているときには笑みがこぼれます。ようやく平穏な生活が訪れて思うのは、素人が認知症患者の面倒を見ていると心身ともに限界を迎えることでした。認知症は症状が進行する前に、施設なり専門的な知識を有した専門家に介護を依頼するのが良いと思います。

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祖母はかわいいおばあちゃんになりました

私の祖母はもう長いこと認知症です。今93歳位ですが、ボケてきたなーと家族が感じたのは、祖母が70代半ば位のことだったそうです。
本格的に認知症だと言われたのは、80歳を過ぎた頃だったと思うので、もう長いことずっと認知症のままで生きています。

祖母は祖父と二人暮らしでしたので、最初は祖父が介護というか、お世話をしていました。
最初の頃は、まだ夜だけおむつを履けば、起きているときは自分でトイレに行ける位の軽症だったので、祖父とたまに来るヘルパーさんだけで、どうにかなっていたのだと思います。
祖父は祖母より7歳年上ですが、大変元気なおじいちゃんだったので。
それでも、祖母の物忘れに祖父は苛立ち、よく怒鳴っていたようです。祖父が怒鳴ることは昔からなので、祖母は慣れていたと思うのですが、痴呆症ということを考えるとそれが進行を手伝っていたかもしれません。

そんな二人の暮らしが数年続いた頃、祖母はトイレを自分ですることができないことがあり、家族で話し合った結果、祖母は施設に入り祖父は一人暮らしとなりました。
祖母の入った施設では、たまにレクリエーションとして歌を歌ったり、折り紙を折ったりしていました。人によっては友人を作ったりして楽しく過ごしている様子でした。
お見舞いに行った時、祖母も同室の方と楽しくおしゃべりをしていました。よく聞いてみると、痴呆症同士なので、二人の会話はかみ合っていなかったのですが、お互いが楽しそうだったので、よかったのでしょう。
それから、祖母はお医者さんにすすめられたとおりに日記をつけていました。内容を見ましたが、支離滅裂で、昔のことまで織り交ぜられていて、それを見ると、本当に結構痴呆症が進んだんだなーと感じるとともに、ちょっと面白かったです。
祖母は痴呆症でも、可愛いおばあちゃんになってしまった痴呆症だったので、お見舞いも苦ではありませんでした。

本当に常にボケていたのですが、ごく稀に、すごく真剣な顔をして私のことを心配するようなことを言ったりと、まともになる時間もありました。
そのスイッチが何なのかは解りませんでしたが、その時ばかりは祖母は痴呆症には見えませんでした。
それ以外では、私を孫とは認識出来るのに、母のことは自分のママだと思っていたりと、めちゃくちゃでしたけど、会話はできました。

そんな祖母も90を越えてからは、反応が薄くて、いずれはそうなるのだと解ってはいましたが、凄く寂しく思います。
笑顔を見せてくれたり、手をつないで来たりはするのですが、あまり喋らなくなってしまいました。
緩やかに進んで来た祖母の痴呆症ですが、これが最終段階なのかな・・・・と家族で覚悟をするお見舞い会になっています。

祖母が認知症になって

私にはまだ祖母が二人存命で、とてもありがたいことです。
これからも長生きして欲しいと思うのですが、それとは同時に老いるとは何なんだろうと思う気持ちも生じてくるのも本音です。
私は父方の祖母と同じ世帯で暮らしています。
私が意識し始めたのは3年ほど前からなのですが、祖母がぼけてきたという事です。
もしかしたら私が知らないだけでもっと以前からその傾向があったのかもしれません。
ただ祖父が亡くなってから一気になったという認識はあります。
認知症と言う診断がでているかは分かりませんが、物忘れや知っている道で迷子になるなどの症状がでており、薬を飲んだり貼ったりしているのを見かけます。
まぁそれも家族に指摘されないと忘れてしまう事が多いのですが。
祖母は定期的にお墓参りをするのですが、その通いなれた道ですら迷子になり、まったく正反対の方角の方へと進み、警察のお世話になったことも何度か有ります。
またその際に自転車でいくのですが、歳のせいかかなりバランス感覚が危うく、何度も転倒していると言う事実があります。
毎回そのたびに危ないから1人で行かないでとお願いするのですが、なんだかんだ理由をつけて反論します。祖母の気持ちはとてもよく分かるのですが、それでも無くなった祖父には悪いのですが、今生きている祖母に危ない目にあって欲しくないというのが、私の心情です。
しかしながら、まだきちんとした自我というか人格がある父方の祖母はいい方だなと感じてしまうことがあります。
母方の祖母はだいぶ人格も崩れてきていて、正直なところあまり会いたくはないという感じです。
昔は大きな休暇のたびに遊びにいっていたのですが、やはり母方の祖母も祖父をなくして以来だいぶ変わったと感じています。
深夜徘徊や感情失禁などもあり、幼児退行もするときがあるのだとか。
ほんと祖母の作るから揚げ等を代表する料理が大好きでもあり、楽しみにしていたので、
そのような姿をみるくらいならという感じで離れていってしまう自分が情けないです。
遠く離れた地で暮らしているのでなおさら距離が空いてしまうのも事実です。
これから先、私の両親もそのようになるかもしれないと思うと怖いです。
本当に私に介護できるか、兄弟や地域と連携できるかなど。
私の両親は、もし認知症になってしまったら施設に送り込んでも構わない様なことを言っていましたが、そのときがきたらと思うと。
まぁ今から考えても仕方有りませんが、そういうことも考えなければならないのかもしれません。
認知症の予防かは分かりませんが、家族とはできるだけ一緒にいて、食事なども共にするなど、そういった時間を取って生きたいと思います。